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スズキ的イチニチ

第171

努力と平等



「努力と平等」


暑いですねぇ!THE「夏」って感じです。今、7/23に「スズキ的一日」を書いていますがオリンピックが開幕しましたねぇ。8年前の2013年にオリンピック開催地決定の瞬間は感動しましたしオリンピックを「生で見ることができる」と興奮したことは今でも鮮明に覚えています。

コロナウイルスのせいで通常開催できないオリンピックになってしまい本当に残念でしかない。「まさか」の連続で緊急事態宣言中の無観客開催で結局の所、「やっても批判」「やらなくても批判」どっちの転んでも「批判されてしまうオリンピック」になってしまった。オリンピックを心から楽しみにしていた私にとっては残念でしかない。

政治判断はいつでも「批判の対象」ですが今回の判断は「正解がない」ものに対して「批判することは非常に難しい」ものと思います。誰が悪いものではなくもちろん政治が悪いとも思いませんが「トップの決断力の大切さ」をオリンピックで痛感した開幕式だったと思います。自国の感染状況やワクチンの提供具合を考え、そして全選手が同じルールで平等にスポーツをする難しさ、「さぁ!決勝戦だ、これに勝てば金メダルだ」って時にPCR検査で引っかかったら参加できないって残酷すぎる。

平等は時として残酷な結果を招くことがよくある。平等って何なのか?本当に難しいと思う。パラリンピックを見ていても「平等の難しさ」を痛感します。身体の補助機能(義足など)の効果が国の経済力やそういった補助器具の先進度によっても結果が大きく分かれてくる。
「努力」と「平等」は同じ天秤では測りきれないものではないかと思う。さらに言えば種目によって「演技点」「表現力」が点数に影響する競技に関して競技なのか?スポーツなのか?審判の「主観で採点される」ものを競い合うというのはいかがなものかと思う。
努力と平等を競い合って行うことの難しさをオリンピックを見ながらいつも思います(あくまでも私の主観です)私自身はガッツリ体育会系なのでやっている競技は全て録画をして見てオリンピック大好き人間です。(私としては開催されてよかったと思っています)

ペットショップに行っても「平等の難しさ」を感じることがよくある。
同じ犬種、同じ性別、同じ価格でもすぐに飼い主さんが見つかるワンちゃんもいればいつまでたっても選ばれないワンちゃんもいる。「飼い主の主観が重要視される」選ぶ選ばれるの難しさは何処にでもある。心ある動物を選ばせている時点で問題があるが結局「選択権」って色々な意味で「力がある人」が決めているのかもしれない。

選ばれるようにすることが正しいのか選ぶ立場にすることが正しいのか?正直難しい。 私の愛犬をブリーダーから譲り受ける際「兄と弟」の2匹いますがどちらを選びますか?という質問に「選べない」決断をして兄弟2匹を迎い入れました。兄弟を迎え入れることが正しいのか?選ぶこと自体が罪なのか?10年以上一緒に生活を共にしていますが今現時点の幸福度が「答え」なのかもしれません。世の中には答えがない問題もあるのかもしれません。


 
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